まちの高台移転の牽引者

東日本震災を機に、「災害に強く、みんなが過ごしやすい地域」を目指して高台移転を決めた根浜地区。その決定に至るための話し合いは、コミュニティーの意思決定におけるモデルケースとなっています。高台移転を決め、新たな一歩を踏み出した根浜地区を盛り上げようと尽力している一人が、佐々木雄治さんです。

釜石生まれ釜石育ちの雄治さん。高校卒業後は「新日鐵釜石(現日本製鉄)」に入社し、2012年6月末まで勤めました。その後は市内の介護施設で働き、2017年11月に根浜に自宅再建し戻ってきました。   東日本大震災発生当時、雄治さんは会社の出張のため盛岡市内におり、テレビの生放送を見て状況を確認したと言います。そこには、これまでに見たこともないような津波が釜石の街を飲み込む様子が映し出され、雄治さんは現実とは思えない危機感を感じます。車を走らせ、震災が発生した3月11日の夜に釜石の街に戻ってきた雄治さんは、自分の故郷の姿を見て「ここは一体どこだろう。」と、変わり果てた街を前に、ただ愕然としたそうです。「この場所は過去に津波が来ても安全だったから大丈夫。」などという過去の経験が、防災の教訓として活かされなかったということを痛感しました。

2011年12月、釜石市は根浜地区の復興計画素案を発表します。その中で、①「14.5mの防潮堤を建設するか、②高台に移転するかを選択しなければなりませんでした。 根浜地区には、「今回の震災では18mの津波が来たんです。14.5mの防波堤では今回のような津波からは身を守れない。それならば14.5mの防波堤を建てても意味がないと思いました。」と話す雄治さん。町内会で話し合って、「それならば早いうちに高い所に住んだ方が安全」という結果になり、高台移転を決めたということです。  また、根浜地区では、震災から1年後の2012年から月に一回「お茶会」を開催しています。その目的は、震災後、仮設住宅に分散して暮らす根浜の人たちの安否確認や支援物資の支給、何よりも重要なことはコミュニティを維持することでした。お茶会には市役所の担当者を呼び、復興計画や生活再建の制度内容の説明を行うとともに、今後の町づくりなどについて詳細を話し合うなど、お茶会が「正しい情報をタイムリーに知る」場となりました。

高台移転に関して、町内会として共通していたのは、「せっかく高台移転をして新しい場所に移るのなら、みんなにとって過ごしやすく且つ、防災のことを考えられる地域にしよう。」という考えでした。例えば、災害があったときに逃げやすいように道路を多めに作ったり、班を編成し、災害時「助けが欲しい人」と「助ける人」を決めて災害時に備えたり。それぞれの家から根浜の美しい海が見えるように海側に平屋を、山側に2階建ての家を配置するように街並みについても工夫するなど、地域をより安全に、過ごしやすい場所にするために、何度も話し合いを重ねました。

2017年11月から「様々な世代の交流人口を増やすための拠点にしたいと思い、民泊を始めました。根浜地域は高齢化が進んでいるので、是非若い人に来てもらえるようにしたいです。」と意気込みを語りました。さらには、「防災を目玉にした観光はいずれ薄れていくと思うので、今後は、持続可能な地域づくりとして、地球や自然の成り立ちを再発見できる三陸ジオパークを中心とする観光の在り方を発信していきたいと考えています。」と釜石の観光に対する今後の展望を話しました。

「釜石の魅力は何といっても人です。」と力強く断言する雄治さん。「鉄と魚とラグビーの街」として知られる釜石市ですが、鉄や漁業だけではなく農業の文化(縄文文化)を持つ人たちもいます。また、大槌湾周辺の人々は、昔から外国との交流もあり、Jazzなどの文化も根付いています。長い歴史と様々な文化、様々な人たちと触れ合うことが出来るのが釜石市であり、根浜地区です。  そんな文化に触れに、そして根浜の文化で育った雄治さんに会いに、釜石に足を運んでみてください。