オープンシティ戦略の旗振り役

2015年に採択された、「釜石オープンシティ戦略」。釜石で新しいことを始めようと訪れた人たちを受け入れ、地域内外の交流によって、様々な挑戦を応援しようという想いのもと、その取り組みを推進するべく尽力する、オープンシティ推進室長の石井重成さん。釜石市の都市政策の一役を担い、釜石の将来像を描きます。これまでも、これからも、釜石の「復興」に必要不可欠な存在です。

「釜石の目指す姿は、地域への自己肯定感の高い人たちがたくさん暮らす街」と話す石井さん。「釜石を、自分の家族や友人、そして恋人などの大切な人を呼びたいと思えるような街に、そして釜石へ自分の意志で住むことを選択した人を増やしたい。」と目を輝かせながら語りました。 「人が幸福になるために最も必要なのは、『肯定感の高さ』であるという研究があります。そして、2016年と2018年に実施した市民意識調査では、“釜石に人を呼び込みたい”という『地域への肯定感』と『まちづくりへの参画意識』の相関関係が見られました。私は、釜石に暮らす方が、様々な形で“まちづくりに自分が参加している”と思えるような仕組みを探求したいと思っています。」と石井さんは言います。

石井さんは釜石内外の人たちがまちづくりに参画する具体的なプロジェクトを実施しています。例えば、地域連帯による高校生向けのキャリア教育「KAMAISHIコンパス」では、釜石で働いている人たち、釜石につながりのある都市部の人たちが地元の高校生とキャリアに関する対話を重ね、高校生の人生の選択の幅を広げ、自己決定感を高めることを目指しています。「いずれは釜石に戻ってきて働きたい」と考える高校生の割合は、この取り組みを始める4年前と比較して約15%上昇。地域の大人や活動に触れ、参画することで、将来釜石で働くことに興味を抱いた高校生の割合が増加したそうです。

他にも、一社)三陸ひとつなぎ自然学校らともに、釜石市でしかできない体験プログラムを発掘・提供し、「釜石のお宝&鉄人発掘博覧会」として、釜石の魅力を外に発信する「meetup Kamaishi」の立ち上げ。この企画を通じて、県外、国外の人たちが釜石の魅力を知ることが出来るのはもちろん、釜石で活躍する魅力的な人が可視化され、地域の人たちも改めて地元の魅力を知ることが出来る機会につながっています。 さらに、ラグビーワールドカップ期間中に釜石へ訪れた市外、県外、そして国外の人たちが釜石の一般家庭に宿泊し、宿泊者と地元住民とが交流することが出来る「イベント民泊」では、リピーターの獲得に加えて、ご高齢の世帯を含め、多様な市民がラグビーワールドカップに具体的に参画する仕組みとしても可能性を感じています。 また、釜石市は現在SDGsの達成にも尽力しています。2018年度には、国連世界観光機関(UNWTO)より、国際社会における持続可能な観光の在り方の共通理解と質の向上の為に定められた、国際基準GSTC(Global Sustainable Tourism Criteria)の認定機関の1つである、Green Destinationsによって日本で初めて100選に選出、近年このSDGsに取り組む国内最先端都市として注目を集めてきています。

このような先駆的な活動に取り組むことによって、“将来は釜石に貢献したい”と語る次世代との出会いを通じて、若者たちが釜石で働きたいという意欲を向上させる機会をつくることを石井さん意識したそうです。「釜石に残るよりも都会に出て働くことの方が良い」という風潮がいまだ強く残る釜石ですが、「釜石でもキラキラ輝きながら働き、暮らすことが出来るんだ、ということを証明したいですね。」と石井さんは力強く話します。  釜石には、地元で生まれ育った人々の他に、震災をきっかけに支援のために移住してきた人々が多く住んでいます。「そのような移住者も含めた市政の在り方が必要だと思っています。でも、この地で継続して活動を続けられる人とそうでない人がいて、両者を分ける重要なポイントがあることに気付いたのです。それは、『支援するためにここにいる』という気持ちから『自分が好きだからここにいる』という気持ちに転換できるかどうかでした。」と話す石井さん。 石井さん自身も釜石に居続ける理由は、「釜石にいることが好きだから」だと言います。「『被災地のために何かしたい』という気持ちは、アクションを起こすきっかけにはなるけれど、継続するエネルギーにはならない。『自分が好きだから』『ワクワクするから』という心持ちがないと必ず疲弊してしまう。だから、移住者に対しては、『自分の好きなこと、やりたいことを、自分の責任においてやりきる。その結果、釜石という地域がより魅力的なものになればいい』と話すこともあります。」と石井さんは語りました。

石井さんは震災から1年後の2012年に釜石にやってきました。「釜石に来たのは偶然でした。それまでは社会貢献や震災復興に対する興味関心は高くない方だったのですが、被災地を訪れた瞬間、ここで何かしなきゃ、と直感的に思いました。東京に戻って、当時勤めていた会社に辞意を表明し、ご縁あって釜石市役所と面談の末、机とPCを与えてもらい活動を開始しました。」と、当時を振り返ります。石井さんが釜石に移住してから7年。「この7年で釜石は大きく変わりました。目の前の“現実”は変えられるという実感もあります。私の役割がある以上、これを全うしたいと思います。」と石井さんは今後の展望について意欲を明らかにしました。  また、2年後の2021には東日本大震災の発生からちょうど10年が経過します。「この節目のタイミングで『復興』というものに対する意味づけが必要だと思う。」と石井さんは言います。「復旧と復興は違う。確かに人は減る。東日本大震災が人口減少に拍車をかけたことは事実ですが、この震災における『復興』とは、もとの状態に戻すのではなく、東日本大震災の経験を糧にした学びや、地域内外のつながりが生む新たな可能性をまちづくりに活かし、地域の底力を高め、震災以前よりも魅力的な街にすることなのではないかと思っています。」と語ります。

「“ふるさと”はつくれる」と話す石井さん。釜石には街を盛り上げようと尽力する人が本当にたくさんいる。その人たちの活動があるからこそ、釜石は進化し、発展し続けています。まちづくりに携わることによって、「たとえそこが自分の生まれた場所でなくても、自分の居場所や役割を感じることが出来る場所になれば、“ふるさと”になり得るのです。」と石井さんは言います。オープンシティという開かれた地域によって、多様な人材の還流を生み続け、市民がまちづくりに参画することによって、その街への愛着やロイヤリティーが生まれ、そういった人たちが増えることで、街の幸福感が上がり、まちづくりに参加する人の増加を促すことが出来る。釜石をより一層盛り立てるプレイヤーを増やして行くため、石井さんの挑戦はこれからも続きます。