かまいしDMCは、観光地域づくり法人(DMO)と呼ばれる組織で、観光地域づくりの舵取り役を担う存在です。具体的には、「地域の『稼ぐ力』を引き出す」ことと、「地域への誇りと愛着を醸成する」ことが役割と言われますが、実際に釜石市の立場から見たときに、かまいしDMCは地域にどのような形で貢献できているのでしょうか。野田武則市長(当時)に直接、お話を伺いました。

2021年10月6日実施

野田市長(当時)、本日はお時間をいただき、ありがとうございます。早速ですが、釜石市が観光に力を入れ始めた経緯を教えていただけますでしょうか。

釜石市は、2011年の東日本大震災の津波で甚大な被害を受けた土地です。震災後は、犠牲になった方々の想いに報いるためにも、「さらに良いまち」を目指さなければならないと思い、取り組みを続けてきました。しかし実際は、被災後の数年間は、防潮堤の建設や高台移転など、ハード面の整備に注力せざるを得ませんでした。それが段々と形になり、次のステップとして、ソフト面の復興を進める上で鍵になると考えたのが「観光」でした。

具体的には、どのようにまちづくりの戦略の中に組み込まれたのでしょうか。

地方都市として抱える「人口減少」と「少子高齢化」の問題は言わずもがな、震災の影響でも人口流出が進む中で、まちの活力を維持するために「つながり人口」(いわゆる「関係人口」)の創出が必須でした。とはいえ、ゼロからのスタートだったわけではありません。釜石には元来「オープン」な風土があり、外の人とのつながりが豊富でした。古くから日本製鉄の工場があり、全国から来る労働者を受け入れていましたし、復興の過程で、ボランティアや支援員など様々な人とのネットワークも獲得していたからです。

そういった「オープンさ」を強みに、つながり人口をまちの活力に変えていく「オープンシティ戦略」が、ソフト面のまちづくり方針として定まりました。しかし、復興がひと段落すれば、去ってしまう人が多いのも、また事実。新たな「つながり人口」を開拓するためには、「観光」を通じた人の呼び込みが不可欠だと判断しました。さらに言えば当初、釜石は「観光地」とはなかなか言えませんでしたが、このまち自体が旅の目的地になるような、「着地型観光」を目指さなければならないとも、考えました。

なぜ、市として新たにDMOを立ち上げることになったのでしょうか。観光物産協会やまちづくり会社などの組織が既にあったと思いますが、既存の組織がDMOの役割を担う、という構想はなかったのでしょうか。

復興のひと区切りとされた10年も、ラグビーワールドカップの開催も目前に控え、かつまちの様子も震災前と大きく変わる中で、新しい発想をより重要視したいと感じていました。そこで、既存組織ではなく、新たな人員を招いて、ゼロからDMOを立ち上げることを選択しました。

ただ、全国的にも、まだそれほどDMOが議論されていない時期だったこともあり、説明しても周囲にはなかなか理解していただけませんでした。さらには、検討委員会で反対意見が出されるなど、設立に至るまでは大変難儀しました。ただ、「復興後の釜石はこうあるべきだ」というビジョンに共感いただくことで、最終的に関係者の心が一つになったと思っています。

実際にDMOを運営していく中で、観光物産協会との役割分担などでご苦労はなかったでしょうか。

心配もありましたが、DMCの活動が始まってみると、特に問題ありませんでした。観光物産協会の方々の理解もありましたし、DMC側でも、観光物産協会が未着手の資源や領域に取り組むようにして、釜石の観光全体で最適化されるように、役割分担がなされたと思います。

観光物産協会は、復興の過程で大きな役割を果たしていただきましたし、かつこれからも釜石の観光の発展のために寄与してくれると思います。特に、従前から観光の中心であり続けてきた伝統的なお祭りなどは、運営のノウハウも豊かなので、これからも観光物産協会が盛り上げていってくれるはずです。

先ほど、従前は観光が盛んなまちではなかったとお伺いしましたが、市として観光に力を入れ始めてから、いかがでしょうか。

例えば、橋野鉄鉱山の世界遺産登録や、ラグビーワールドカップの開催決定も、一見華やかですが、そこに至るまでは長い紆余曲折も経験しました。世界遺産登録も、ワールドカップ開催も、ある側面から見れば「奇跡」です。色々な方が色々な立場で関わって、目標に向かってまっしぐらに突き進んできた、血と汗と涙の結晶なのです。

鵜住居復興スタジアムの芝生の上に立つと、それを肌で感じることができます。震災復興からの取り組みのプロセスを知っている人には、到底「普通のスタジアム」には感じられないでしょう。観光に力を入れ始めてから、地域にあるそのようなストーリーを、外から訪問して来られる方々とも共有できてきているのではないかと思います。

かまいしDMCは2021年4月で設立から3年が経過しましたが、ここまでの取り組みをどのように評価されていますでしょうか。

釜石が、人とのネットワークをまちの活力につなげられている要因として、かまいしDMCの存在は大きいです。外の人をうまく活用し育て、釜石の力に変えている。優秀な人材を惹きつけるのは、信頼と実績がないとできないことです。

先日、かまいしDMCは「観光庁長官賞」の表彰を受けましたが、伝統的な観光地ではない釜石が選ばれるのは、特筆すべきことだと思います。釜石市の「世界の持続可能な観光地トップ100」への選出や、かまいしDMCの重点DMOへの指定も、同様に大きな功績でしょう。

「地域の稼ぐ力を引き出す」ことに関しても、ふるさと納税やオンラインショップの運営を通して、大きな役割を果たしてくれていると感じています。ふるさと納税は、委託当初と比較すると取扱額が数十倍にも達し、まちの活性化に直接つながっています。かまいしDMCがまちを豊かにしている好例でしょう。

これからのかまいしDMCに対する期待をお聞かせください。

さらに新しいことに挑戦していって欲しいです。ちょうど今進めてもらっている、ワーケーションやオンラインツアーなどは、釜石で「学び」や「充実感」を感じていただける取り組みとして、しっかり形にしてもらいたいですね。そして究極的には、観光だけでなく、定住促進などより長期的な目線、より幅広い目標を持って、市に貢献して欲しいですね。かまいしDMCのポテンシャルを鑑みると、やってもらいたいことは尽きません。

今後の釜石市の観光について、ビジョンを教えていただけますでしょうか。

市の政策方針を定めた、第六次総合計画では「一人ひとりが学びあい 世界とつながり未来を創るまちかまいし」をスローガンに掲げています。 「One for All, All for One」は、ラグビーのチームプレー精神を表す言葉として有名ですが、観光まちづくりにも当てはまります。具体的には、地域住民が一体となって受け入れる「滞在交流型観光」を活発にし、「稼ぐ力」の向上と、「交流人口の拡大」を目指します。

もう少し具体的には、「学ぶ旅」のあり方を、釜石から発信していきたいと考えています。釜石はまだまだ「観光地」とは呼べないかもしれませんが、「近代製鉄発祥の地」「津波からの復興の地」「ラグビーワールドカップの開催地」など、人や文化、自然に宿る、「物語」が豊かな街です。単においしいものを食べて綺麗な景色を見るだけではない、深い楽しみ方ができることが強みだと思っています。

釜石に来ることで、今後の人生に活きる何かを学ぶことができる。「学び」というと少し重たく感じられるかもしれませんが、人生が少しでも豊かになる「気づき」を、ぜひ釜石で掴んでいってもらいたいですね。

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