津波伝承施設「いのちをつなぐ未来館」運営

未来のいのちを守るため、
私たちは、震災について語り続ける。

 

東日本大震災の伝承と防災学習に取り組む「いのちをつなぐ未来館」は、かまいしDMCが運営する施設の一つ。津波の被害をまとめた展示物のご案内や、語り部の「語り」はもちろん、定期的にスタッフが手作りする企画展や避難路の追体験、防災運動会や防災リュックのワークショップというように『体感型のプログラム』を多く揃えているのが大きな特徴です。地域の方々とともに、日々伝承活動に取り組むスタッフの想いに迫ります。

 

  • 佐々 学

    地域創生事業部 鵜住居トモス運営課

    うのすまい・トモス事務局にて、商業施設「鵜の郷交流館」と津波伝承施設「いのちをつなぐ未来館」の運営の責任者を担う。訪問者への防災プログラムの提供や、地域の関係各所との連携窓口に加えて、ラグビー体験等、釜石鵜住居復興スタジアムを活用したプログラムも担当している。


  • 川崎 杏樹

    地域創生事業部 鵜住居トモス運営課

    うのすまい・トモス事務局にて、主にいのちをつなぐ未来館における震災当時の語り部と、防災ワークショップ、オンラインコンテンツなどのプログラム開発、提供担当。釜石東中学校2年生時に東日本大震災で津波から逃げ切った、いわゆる「釜石の出来事」に関わった経験を持つ。

まずは、普段の仕事内容について詳しく教えてください。

川崎仕事内容は多岐に渡りますが、個人的には語り部として被災した体験をお話させていただいたり、未来館の展示物をご案内させていただく場面が多いです。震災の経験と、そこから学んだ備えることの大切さや具体的な実践方法をお伝えして、防災意識を高めていただくことが私の役割だと思っています。

備えの大切さを本当の意味で「伝える」ことは難しさも沢山あると思います。工夫されていることはありますか?

川崎聞いてくださる方の年齢や興味に応じて、お話する内容や、言葉の選び方を変えるよう心がけています。例えば、特に子どもたちは注意が逸れやすいですし、興味を持って聞き続けてもらうことは難しいです。ただ、その気持ちもよく分かるので、クイズを取り入れてみたり、問いかけを増やしたり、伝える順番などを変え、少しでも「伝わるように伝える」よう心がけています。

ありがとうございます。続いて、佐々さんの普段の仕事内容について教えてください。「地域連携」に力を入れているそうですが、具体的に、地域のどのような方々とどういったやり取りをされているのでしょうか?

佐々例えば、防災教育に取り組む一般社団法人「三陸ひとつなぎ自然学校」さんとは、防災のプログラム開発を一緒に行っています。また、鵜住居小学校さんと釜石東中学校さんとは、避難訓練を合同で行ったり、地域の清掃活動などへの参加もしています。

最近では、インフラツーリズムの流れで「防潮堤見学」が人気で、特にそこを管理されている沿岸広域振興局の方とのやり取りも増えています。

また、「朝市」に関していうと、今まで「海」の海産物と「山」の農作物が一緒に扱われる場というのが、実はなかなかありませんでした。釜石はその二つが近接して共存しているのが魅力です。そのコラボレーションの場として発案されたのが「海山連携朝市」でした。準備のための、地元の漁協や農業関係者の方々とのやり取りも一時期はとても多かったですね。

ありがとうございます。防災ワークショップや地域のイベントと聞くと、とても楽しそうに思えますが、多くの方が亡くなられたこの地で未来館を運営していくことは、難しさがあったのではないでしょうか。

佐々そうですね、未来館を立ち上げた当初は特に難しかったです。私が入社する前には「この場所で津波に関して伝えていくことは本当に適切なのか」という点から議論があったと聞いています。また入社後も当事者として、何をどのように伝えたら良いか、という点については地域の方も交えながら、慎重に議論を重ねました。

もう一点、私自身、被災はしたものの津波を直接見たわけではないという難しさもありました。当時は「直接津波を見たり波をかぶっていない者が語って良いのか」という葛藤がありました。ただ、次世代へ震災の教訓を伝えるために、津波を経験していない人たちが語り継ぐことに大きな意義を感じ、この場所で語ることを始めました。

結果的には「語り継ぐことで未来の命を守る」という流れを作れたことは、大きな意義があったと思っています。

なるほど、そういった地域からの理解を醸成していくのも、DMOの役割なのかもしれないですね。他にも様々な葛藤があったかとも思いますが、逆にお二人が「この仕事をやっていて良かった」と感じられた瞬間はありましたか?

佐々仕事を通じて地元に更に愛着が湧いたことは、思わぬ収穫でした。私はこの仕事に就く前から、何十年も釜石に住んでいたので、地元のことを知っていた気持ちでいました。でも、地域の人と連携をしたり、地元の品々をPRする中で、新たに知った釜石の魅力が沢山ありました。

また、先ほどお話した海山連携朝市、他にも軽トラ市というのも開催しているのですが、たくさんのお客さんが来場してくださり、開催後に事業者さんや来場者の方々から「企画してくれてありがとう、またやってよ」という感謝の声を聴くと、本当にやって良かったと思いますし、自分たちの活動が意義深いものだなと感じられます。これは、DMCだからこそ味わえる醍醐味じゃないですかね。

川崎私は、少しでも誰かの命をつなぐきっかけになれた、という実感を感じられた時が一番嬉しいです。私の話を聞いて、「次こんなことしてみようと思った」とか「実際にやってみた!」という声を聞けた時は、伝わったことに大きなやりがいを感じます。

未来館は、「語り部」だけに留まらず、「防災運動会」や「避難道追体験」などの体験プログラム、「安否札作成」や「防災リュック」などのワークショップ、更には企業研修なども扱っています。様々なプログラムを開発する原動力はどこからくるのでしょうか。

川崎「伝えたい」と思ったら色んな活動が思いつくのだと思います。

震災から10年が経って、だんだんと一般の方々の記憶は薄れていっていると思います。でも、自然災害のリスクが減っているわけではない。「どうやって引き続き興味を持っていただくか」は私たちにとっても重要なテーマです。その中で、「伝えるためにどう工夫するべきか」を、来てくださる方の年齢や背景に合うように考えていった結果、自然と蓄積されていったという感覚です。

例えば企業研修の制作にあたっては、「経験」を語るだけでは不十分だと考えました。そこで、改めて震災関連の文献に当たったり、当時の教育関係者にお話を聞いたりなどして、改めて「釜石の出来事」(※注)の背景を調査しました。結果として、深い学びの得られるオリジナルのプログラムができたと思いますし、私たち自身が語る内容をブラッシュアップする必要性にも気づかされました。

なるほど、語り部はあくまで手段であって、大事なのは「震災の経験をいかに広く伝えるか」と捉えてらっしゃるのですね。
最後に、未来館の今後についてお聞かせいただけますか。

川崎災害は必ず起こります。ですが、その被害は防ぐことが出来ます。
歴史的に見れば、釜石にもいずれまた津波が来てしまうと思います。その時に、地域住民全員の命が守られる街づくりに貢献したいというのが一番です。

また、地元の方々だけでなく、来館者の方々にも、各地で自分の命や周囲の人の命を守る行動をしていただきたい。そのためには、ただ「伝える」だけでなく「実践」までつなげていただけるような仕掛けも必要だと感じています。そのためのプログラム開発にも力を入れていきたいですね。

佐々そうですね、立ち上げ時と比べて、より地域に愛される施設になってきているとは感じています。ラグビーワールドカップの次の年以降の来場者の減少が懸念されていたのですが、大方の予想を裏切って、ラグビーワールドカップ杯の次の年の方が来館者数が上回りました。

ただ、私たちにできることはまだまだたくさんあると感じています。最近は気候変動で災害が増加し、津波に限らない災害への備えが重要度も増しています。誰もがここで「防災」を自分事として学べるような、幅広い防災知識を発信できる場になることを目指したいです。全国の「いのちをつなぐ」中心的な役割を担えたら、嬉しいですね。

ありがとうございました。

TOP